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レースレポート

a:6347 t:5 y:3

2016年 Ironman 70.3 Japan

6月12日に開催されたIronman 70.3 Japanのレースレについて、
ごく簡単に報告させていただきます。

事前トレーニング
〈スイム〉
毎週末(土、日)に由岐B&Gへ、1時間ほど泳ぐ

〈バイク〉
平日の水、木は、自宅トレーニングルームに設置してあるバイクトレーナーで1時間練習。週末は土、日のどちらかに60㎞前後の実走。コースは自宅周辺の堤防道路を周回。
※交通量の多い一般道では、事故の危険性があるのでとにかく安全なコースでトレーニングした。

〈ラン〉
平日は、月、金に自宅トレーニングルームのトレッドミル(ランニングマシン)で40分練習。週末の土、日は自宅周辺の堤防道路を周回して、10~13㎞を走った。

大会事務局への要望
本大会のスイムスタートは、年齢、性別、カテゴリー(個人・リレー)により9ウェーブ(グループ)に分けられている。
この分類だとチームサカノの二人(顕正・翔生)が別々のグループになってしまい、一緒にレースを進めることができないので、同じグループでスタートさせて欲しいと要望した。さらにスイムスタート時およびスタート後に他の選手とできるだけ接触しないように、最終グループ(第9ウェーブ)でのスタートと親子をロープでつないでスイム競技することを要望して、大会事務局に承諾していただいた。

レース前日
午前3時30分に自宅出発。午前9時に中部国際空港セントレアに到着。
午前10時より選手説明会、選手登録する。午後2時にバイク預託するために新舞子マリンパークへ。
バイクチェックとアンクルバンド(計測用チップ)を受け取ったのちに、バイクラックへバイクをセットした。
最後にT2(ランスタート:常滑中学校)へラン用バッグを預託したのだが、誤ってこのラン用バッグへアンクルバンド(計測用チップ)を入れたままにしていたため、レース当日のスタート前にバタバタすることになった。

レース当日
セントレア午前6時20分発の選手用シャトルバスで新舞子マリンパークへ向かう。自分たちのスイムスタートは午前9時30分とゆっくりしている。
スイム会場に到着して、バイクの空気圧の調整、補給職、ドリンクをセットした。その後、バイク用品を入れたバッグを預託する。
すべての準備が終わったと思っていたら、アンクルバンド(計測用チップ)がないことに気が付く。マーシャルの人に対応をお願いしたが、プロのスタートが午前7時30分で、すでにスタートが始まっていたために、エンジニアから再発行をなかなかしてもらうことができなかった。午前8時過ぎには再発行が完了して、あとはスイムスタートを待つばかり。
スイムスタートを見ながら、芝生の上でゆっくりしていると恵子母さんも応援に駆けつけてきた。

午前9時30分が近づき、ビーチでスタートを待っていると、MCのウィットさん(外人で日本語ペラペラ)がダウン症の翔生が出場することを紹介してくれた。スタートを待っている選手や応援の人たちから大声援をいただき、翔生も私も手を上げて声援にこたえた。

スイム最終ウェーブ(第9ウェーブ)の選手が合図とともに一斉に海へ。
今回は翔生と私をロープでつないで泳ぐことを大会事務局に承諾いただいているので、最初から速いペースでレースを進めることにした。
しかし、200mほど泳いだ地点は選手が込み合っており、私が他の選手と接触したことで心理的に焦りが生じて、クロールで泳げなくなってしまった。
翔生は、自分が少し休憩を入れることを伝えて、ペースを落として泳いでもらった。
2~3分ほど平泳ぎで気持ちを落ち着かせてから、再びクロールで泳ぎだす。その後は焦ることもなく、ペースを維持したまま泳ぎ切ることができた。
タイムは47分ほど。想定タイムの50分はクリアできた。

ビーチからT1(トランジット1)へ急いで移動する。ウェットスーツを脱ぎ、サングラス、ヘルメット、バイクシューズ、グローブを身に着けて、100m以上離れているバイクラックまで走る。着替えに10分以上の時間がかかってしまった。次のバイクパートでの走りが完走への鍵と考えていたので、翔生にゲキを飛ばして気合いを入れた。
前半のコースは、約16㎞を4周回する。翔生の苦手な急コーナーや折り返しが多く、さらに狭い対向路があるため慎重に走る。1週目は抑え気味に走り、2週目からはペースを上げる。3週目の約36㎞地点で、突然翔生が停車してしまった。私がバイクをコース横において、50mほど後ろにいた翔生に駆け寄りバイクを確認した。後輪のギヤにトラブル(カセットギアのロックを締め忘れてた)が起きていたので、簡易的に修理してバイクメカニックサービスを探すことにした。
幸いなことに、2㎞ほど先にバイクメカニックがいたので、修理して再スタートする。修理の間に翔生のボトルへドリンクの補給と補給食を食べる。
修理のかいあって、無事4周回(63.8㎞)を終え、終盤の山岳コースへ向かう。このトラブルで約10分のロス。
この時点で、バイクのポジションは最後尾となり、マーシャルのスクーターがすぐ後ろを追いかけてきていた。
トラブルまでは平均速度25.㎞/h以上を維持していたのが、24㎞/h以下となり、後半の山岳部のコースでどれだけ頑張れるかが完走への鍵となってきた。
レース当日は、曇りの天気であったことも翔生には味方しているように思う。翔生は暑さが非常に苦手なので。

終盤のコースも田舎道の急なコーナー、短いが急な登りが多くなり、平均速度はさらに落ちてきた。翔生は諦めることなくペダルをこぎ続けて、バイクスタートから3時間54分でT2(トランジッション2)にたどり着いた。
T2間近で3選手を追い抜く頑張りを見せてくれた。

次は最後のランパート。休憩することなく、急いで着替える。スタート前に補給して、21㎞先のゴールを目指す。T2では他の3選手も同時に着替えていたこともあり、1㎞を過ぎるまでに他の3選手に抜かれてしまった。
これで再度最後尾となった。後ろにはバイク2台のマーシャルがついてくる。
2㎞を過ぎるあたりから、翔生のピッチは落ちてきて、目標の7分30秒/㎞が維持できそうになくなってきた。今日のレースのためにトレーニングを頑張ってきたことを話しながら、ペース維持に努めた。ラン前半コースは山岳部なので、上り下りの繰り返しとなっている。上りで翔生の体力消耗を抑えるために、翔生の手を引く。ペースは8分/㎞を切るのがやっと。
エードステーションでは、ボランティアの方々から大きな声援をもらいながら、翔生は懸命にゴールを目指します。12㎞あたりからはコースはフラットとなり、上りのつらさから解放された。
ペースと残りの距離から、制限時間内の完走ができるかを計算しながら先を急いだ。
ラン後半は時折降る雨が心地よく、翔生のペースは安定していた。
残り5㎞となり、ほぼ完走が確実となって、最後の力を振り絞る。すると前方にリレーの選手が見えてきた。
その選手は足がつりそうだとのことで、走ることもままならない状況だった。
翔生と私は、その選手と完走することを誓って、コースの先を目指す。

しばらく走るとゴールのアナウンスが聞こえるまでにゴールに近づいていた。翔生とはゴールするときのポーズを考える余裕もできてきた。
20㎞地点は、ゴール地点だが一度Uターンして引き返し、残りの1㎞を走り切りゴールとなる。Uターンの時には、MCのウィットさんが翔生のことをアナウンスしてくれて、ゴールにいた方々から大声援をいただく。
残り1㎞を走り終えて、ゴールするときにはもう一度アナウンスと大声援をいただきながら、Ironman 70.3を初完走できた。スイムスタートから7時間52分39秒。それにしても長い一日だった。

ゴール脇には、翔生を同じダウン症の子供さんを持つご家族が、応援に駆けつけてくれていた。体力的に弱いといわれているダウン症者が、トライアスロンを完走することは、先の見えない親御さんには、大きな希望となっているのかもしれない。
チームサカノの夢は、Ironman(70.3の倍)を完走すること。チームサカノのモットーである「成功の反対は失敗ではなくて、何もしないこと!!」を念頭に努力していこうと思う。

応援に来ていただいた親御さんのコメント
A木さん・・・初めて翔生を見たお母さん
今日は、トライアスロンの大会を見に常滑へ行ってきました。徳島から阪野翔生くんというダウン症の彼が選手として出ると聞いたので。
いやぁ、感動したっ!!寧心に対して心の奥底でこれは無理やろーと思ってたとこがあったんやけど、吹っ飛んだっ!!本人のやる気次第でなんでもできるっ!!親が出来ないって決めちゃダメだと。だって普通に走ってたよ。だって普通にお話してたよ。ただちょっとぶきっちょさんでできるようになるまで時間がかかるだけなんだよ。もっとたくさんの人に知ってほしいと思いました。
サヨナラする時に翔生くんとハイタッチしたんやけど、なんだか大丈夫だよと言われたような気がしました。このハイタッチ、一生忘れません。とても勇気をもらった1日でした!!

Y田さん・・・7年前に初めてお会いしたお母さん
日曜日は、常滑アイアンマンに出場するさかじーさんと翔生くんを応援しに行ってきました!
大会前の連絡になってしまいましたが小さなお子さんをお持ちの親御さんも雨の中たくさん駆けつけてくれました。

私はUくんがまだ0歳の時に翔生くんと出会い、本当になんとも言えない感情が沸きました。
勇気と希望をもらいました。
大フアンになりました。
奥さまもとっても気さくな方で ご家族揃って素敵でした🎵
レースを見たことはなかったので今回は本当に本当によかったです。
もう、みんな揃って声援を送り、まるで母親気分で涙してました(笑)
翔生くんのゼッケンまでいただいて、親の会の宝物です❗
また、応援にいきたいなーと思います!
いい思い出を、そして勇気をありがとうございました✨
親御さんはみなさん もっとお話ししたかったみたいなので今度はゆっくりお呼びしたい!

Uくんはというと、ゴール地点のウーハーのマイク音量にただならぬ雰囲気を感じ、帰りたい連発。
でしたが、 応援する声援を聞いてよくなったようで、他の方まで頑張って応援しました。
さかじーさんと翔生くんにしっかりご挨拶できて、握手をしてもらいました("⌒∇⌒")

2009年大雪山忠別湖トライアスロンinひがしかわ

8月9日に開催された大雪山忠別湖トライアスロンinひがしかわに
出場してきました。
大会当日は真夏日となり、初めての北海道のトライアスロン大会を存分に
楽しみました。

北海道とはいえ、真夏の太陽は非常に強かった。
でも、空気が乾燥しているので、日陰では涼しく感じるのです。
徳之島大会とは違って、心地よい暑さの中でのレースでした。

スイム会場は貯水量全国一の「忠別湖ダム」。大雪山系の雪解け水に
満たされたダムは、思ったほど冷たくなく、泳ぎだすと気持ちが良いのです。

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<スイム>

いつも通りに最後尾から翔生とスタートしました。
今回はカヌーが伴走してくれました。
まあ、これまでは大きなトラブルもなく、カヌーの必要はないと思っていたのですが、
なんと今回はお世話になってしまいました。

忠別湖でのスイム

コースは750mの三角形を左回りに二周します。
スタートして第一コーナーを無事ターン。
第二コーナーを目指して泳いでいると、翔生がSOS!!
ゴーグルに水が入ってしまいました。

カヌーにつかまって、ゴーグルを掛けなおします。
そして再スタート。・・・ところが、カヌーから手を離して水に入った時に、
水を多量に飲んだらしく、スタートしてすぐに二度目のSOS。
初めての経験に翔生は少しパニックに。それでも少しだけ休憩して、
再々スタートします。
様子を見ながらゆっくりを泳いでいましたが、問題がなさそうだったので、
ペースアップをしました。
翔生もペースを上げて、遅れを取り戻します。

一周目を無事クリアして、一度は陸へ上がり、再度湖に飛び込みます。
二度目の第一コーナーも問題なく通過しました。
前を見ると風船をつけた選手が二人泳いでいます。
そうです、全盲の宮越さんたちです。
スタート前に健闘を誓い合ったこともあり、負けじとばかりにペースアップ。

第二コーナーを回ったあたりで二人をパスします。
最後の直線を翔生は懸命に泳ぎきり、まずはスイムを無事終了です。
スイムタイム40分。

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<バイク>

次はバイクパートへ。バイクコースは13km強を三往復です。
徳之島大会以降も翔生はトレーニングを続けているので、
ショートのバイクは問題ないと思っていました。
スターと地点は折り返しポイントでもあり、翔生がスタートする時は、
すでに一周目を終わった選手と交錯します。
他の選手に注意しながら、バイクシューズをビンディングペダルに
セットして、ゆるい上りに向けてペダルを漕ぎ出しました。

コースサイドには、応援の人がたくさんいて、折り返した選手も気合一杯で
ダッシュしています。
翔生はギヤチェンジをしながら、ペースを上げていきまいた。

しばらくゆるい上りが続くと、一気に下りに入ります。
何もしなくても60km/h出る下り坂なので、アクシデントの
ないように慎重に下って行きます。

前日にコースを試乗していた方が、段差で転倒して、両手、両足を
ズル剥けになったとのことなので、十分に注意が必要でした。
(スイムスタート時に転倒した方とお話しましたが、大きな擦過傷が痛々しかった。)

下りきったところから、おそらくわずかな下り基調と思われるコースと
なり、翔生は30km/h以上で巡航していきます。
そして、折り返し地点でUターン。

三往復するために、たくさんの選手にパス&対向します。
そのたびに翔生への声援をいただき、本人も絶好調!!

折り返し後はごくゆるい上りとなり、そのあとに急な上りが待ち構えています。
肌はジリジリと焼けて痛いのですが、それほど苦しくはなりません。
湿度が低い北海道の気候がそれほど体力を奪っていかないようです。

バイク絶好調の翔生は、上りではさかじ~をあおってきます。
時折、ペースの遅い選手をパスしながら、スタート地点へ戻ってきました。

折り返し地点では、惠子母さんの声援が後押ししてくれます。
翔生が二往復目に入る時には、まだたくさんの三往復目の選手がいて、
接触しないかと惠子母さんはきがきじゃなかったようです。

二往復目も順調に周回します。
一往復目でバイクの調子が出てきた翔生は、さらにペースアップ。
急な下り後の平地では32km/h~で巡航していました。
その後の上りでもさかじ~が頑張ってペースを上げても、涼しい顔をして
後ろからあおってきます。二往復目もクリアして三往復目へ。

三往復目もとりあえず折り返しまでは順調でした。
上りにかかって、翔生が「お父さん、ごっついスピード速いなあ。」と
声を掛けてきます。
でも、そのスピードに平気で付いてくる翔生です。

ところが、三往復目の上りに差し掛かって、さかじ~がペースダウンです。
トレーニング不足は正直なもので、特に上りでペースがた落ち。
翔生に「お父さん、限界やけん、このペースでいくじぇ。」

翔生はさかじ~の後ろにぴたりと張り付き、付いてきます。
どうにか三往復目もクリアして、1時間50分でバイクフィニッシュします。

この時点で制限時間に2時間近く余裕がありました。
トイレも済ませて、トランジットはゆっくりと。

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<ラン>

相変わらず翔生は元気で、さかじ~より先にランコースへ飛び出していきました。
ランコースは三往復半とちょっと変則。
スイムスタート地点とゴール地点が離れているからです。

コース上にはたくさんの選手がいて、道路の片側車線を選手が往復します。
残りの片側車線は応援の人や緊急車両用に空けてあるのです。

選手説明会の時に翔生とさかじ~は紹介していただいていたので、
選手の皆さんからはバイクの時以上に声を掛けていただきました。
翔生はニコニコしながら、手を上げてこたえていました。

ペースは7分/km~をかけて、ゆっくりなのですが、徳之島大会などでは
そのスピードさえ維持できませんでした。
今回のレースではたしかに暑いのですが、蒸し蒸しした暑さではないので、
比較的快適にレースを進めることができました。

今回のレースには、翔生と同じ障がいをもつ子供さん、親御さんが応援に
駆けつけてくれました。
ゴール側の折り返しでは、大声で声援していただき、翔生もその声援に
応えるように力強い足取りでゴールを目指しました。
そして、最後までペースを乱すことなく、余裕で走りきることが出来ました。

ゴール:記録更新

ゴールタイムは3時間49分、220位、自己ベストでした。
タイム自体は大したことはありませんが、これまでのように後半に
崩れることなくレースを終えたことが一番の収穫でした。

レース結果

暑い中応援していただいた皆さんには心よりお礼申し上げます。
また、私たち親子を快く大会に受け入れていただいた主催者の方には、
この場をお借りしてお礼申し上げます。
ありがとうございました。

皆さんも機会がありましたら、
ぜひ、「大雪山忠別湖トライアスロンINひがしかわ大会」に参加してみてください。
ロケーションも良く、大会後のパーティーではジンギスカン焼きを
お腹一杯食べられますよ。
抽選会もあって、2倍、3倍得した気分になります。
ちなみに翔生は¥13,000相当のバイクジャージが当たりました。

ジンギスカン焼き

今年のトライアスロン出場は終了しましたが、トレーニングは継続して行きます。
今後とも応援よろしくお願いします。

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2004年ひわさうみがめトライアスロン

午前5時、目覚まし時計の音で目を覚ましました。
いよいよ2ヶ月間のトレーニングの総仕上げです。
軽トラに自転車を3台と必要な道具を積み込みます。
(1台は恵子母さんの応援用折りたたみ自転車。)

しかし、最終判断は村上先生の診断に委ねています。
時間的なこともあり、私が先に日和佐のレース会場へ向かいます。

恵子母さんと翔生は午前6時半過ぎに村上内科外科医院へ向かったのでした。
先に日和佐に到着した私は自転車を軽トラから下ろして、レースに使用する
自転車の空気圧調整等をやっていました。
翔生を待つ時間の長いこと。

選手用の駐車場の入り口に様子を見に行くと、四国放送の住友ディレクターに会いました。
取材陣はスクーター2台体制です。
昨年のサイパンでも一緒だった阿部カメラマンがスイム、バイク、ランを
密着して撮影を行ないます。
そしてもう一人のカメラマンもスイムは浜で、バイク、ランはスクーターで撮影します。

この時点では未だ翔生の状態がわからなかったので少し不安でした。
そうこうしているううちに翔生と恵子母さんが到着しました。
左肘には防水シートと擦れ防止のためのパッドが貼り付けられていました。
村上先生の診断は出場してもOKでした。

ひじの擦過傷

後は全力でチャレンジするのみです。
レーススタートまで時間も無く、バイクラックに自転車を掛けに行きます。

周りにはたくさんの自転車が既に掛けてあります。
知り合いの方にもたくさん会うのですが、のんびりする暇はありません。車に帰って、レースウェアーに着替えます。
ウェットスーツでの擦れ対策として首周りに少し、バイクでの股の擦れ対策として
バイクパンツにワセリンをたっぷり塗ります。

ワセリンぬりぬり


  
バイク用品、ラン用品を持って、再度バイクラックへ行きました。
翔生と私のバイクの間にシートを敷き、バイク、ランそれぞれの用品を
レイアウトします。

ゼッケン#149阪野顕正、#150阪野翔生、準備完了!
スタートまでの時間が無いので、スイムのウォーミングアップのために
急いで浜へ向かいます。

翔け世界へ

四国放送の取材を受けながら、ウェットスーツを着ます。
この時にレース中の翔生の心拍数を記録するために付けさせていたハートレイトモニターを
海中に落としてしまい、無くしてしまいました。
ショック!(2万円以上したのに!)これで3個目の紛失!情けない。

気を取りなおして翔生とスイムのウォーミングアップをします。
大会本部よりご配慮を頂き、私達親子のスイムコースは一般の選手とは異なり、
コースロープの内側を泳がせて頂けることになりました。
サポート役として、レースプロデューサーの山本氏がサーフボードで横に付いてくれます。
いよいよレース開始です。
スタート前1分間がすごく長く感じました。

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<スイム>

プウォーン!午前9時レース開始。合図と共に第1ウェーブがスタート。
翔生と私はゆっくりと海へ入ります。
ペースを乱さないように、ゆっくり泳ぎ出しました。

着替えも含むバイクスタートまでの目標タイムは50分。
海でのペースは目標物が無いので分かりません。
とりあえず翔生と私は練習通りに泳ぐことを心がけて進みます。
すぐ横をサーフボードに乗った山本氏が翔生にアドバイス、応援を送ってくれます。

近くの船からは阿部カメラマンが撮影をしています。
翔生は始めのうちは調子が出ません。
私が後ろを泳ぐ翔生を常に見ながら、距離を測ります。
途中で何度か背泳ぎで離れ気味の距離を調整しながら泳ぎました。

750m折り返しまでがすごく長く感じられました。
折り返し地点は浜と平行に50mほど泳ぎます。
その後は浜に向かって一直線。折り返し時点で約23分。
ちょっと予定より遅れ気味。

いつも翔生は復路でのペースが上がるので、それに期待して残り半分を頑張ります。
それにしてもすごい成長ぶりです。
昨年はプールで25mを泳ぎかねたのが、今年は200m、500m、1500mと
距離を伸ばしてきて、ついに海での1500mに挑戦するまでになれたのですから。
翔生の成長に感動です。

少しずつ浜が近づいてきます。
スタートしてから約43分。
スイムをフィニッシュすることが出来ました。

私は気付かなかったのですが、翔生の表情がすごく良かったそうです。
そりゃそうですよね。
海で1500m泳ぎきったことはすごい自信になったのでしょう。
気を抜かずバイクへ。

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<バイク>

バイクラックへ移動している時、翔生は苦しいと言いました。
スイム後に一気にペースを上げて走ったので苦しくなったのでしょう。
先は長いのでペースを落としました。

上半身のウェットスーツをいつ脱いだのかも記憶にありません。
焦っていたのですね。
バイクトランジッションでは下半身?のウェットスーツを脱ぎました。
(親子とも2ピースタイプを使用しています。)

濡れた足をタオルで拭き、ソックスを履きます。
翔生はランニングシューズでバイク、ランを通します。
私はバイクシューズを履きます。
サングラス、ヘルメット、グローブを身に付け、いざバイクコースへ。

バイクスタート

バイクラックから乗車ライン(バイクスタートライン)までは50m以上あり、
バイクシューズを履く私にとっては走り難くて大変なのです。
中西さんに誘導してもらいバイクスタート!

スタート直後はやや下りです。
翔生に変速を指示しながらスピードアップ。
そこから日和佐駅前を通過して、国道55線を平行して走る町道に入ります。
一部工事中で未舗装となっているので、スリップダウンしないように慎重に走りました。
工事区間を過ぎたところから南阿波サンラインへ向かいます。

阪野親子の今回の挑戦(これからも同様だと思いますが)はこれまでの
トライアスロンの定義とは異なっています。
トライアスロンは自分一人の力で完走することが通常ですが、阪野親子の場合は
二人で一つのことをやり遂げることを目的としています。
翔生が力を付けて一人でレース出来るようになれば話も変わってくると思いますが・・・。

さて、調子良く翔生をプッシュしながら走っていたところ、スイムの直後ということで
平衡感覚が微妙に狂っていたのでしょう。
私が一瞬翔生に寄りかかってしまい、私のフロントホイールが翔生の
リヤ変速機に絡んでしまいました。
バキッと音がしてハンドルが左に取られました。

「アッ!」と大声を上げるさかじ~。

横で撮影していた阿部カメラマンもびっくり。
もう駄目かと思いましたが、どうにか持ちこたえて転倒を免れました。
安心するのもつかの間、阿波サンの急坂が私達親子に立ちはだかってきます。

阿波サンでは3回のトレーニングはしたものの、入り口の急な登りはこたえます。
私が翔生を押しますから、どうしても自転車が並進状態になります。
片側車線を半分以上占有してしまうので他の選手に迷惑を掛けそうで気がひけます。
しかし、時間内完走が掛かっているので、かまわず押します。

第1駐車場までの長い坂を登りきるまでに私は押す手を何度も休ませました。
その間は翔生の力で頑張ります。

阿波サンは気を抜く場所がほとんど無く疲れます。
登っては下り、下っては登るレイアウトです。
行きの下りは帰りの登りとなります。
第1駐車場から第2駐車場へ。
そして第3駐車場へ向かいます。

途中で翔生の自転車の異変に気が付きます。
リヤがローの時にリヤの変速機がスポークに当たっています。
そうです、私のフロントホイールが翔生のリヤ変速機に接触した時に変速機を
内側に曲げてしまったのでした。

第3駐車場から登りきったところで、翔生を停止させて変速機を外側に
引っ張りました。
難なく元に戻り、その後の走行には支障がありませんでした。

そうこうしているうちに滝根先生に追いつきました。
追いつかれた後はずーっと後をついて来るではありませんか。
しばらくして、私が翔生を押しながら坂を登っていると話し掛けてきました。
その受け答えをしている時です。またまたバランスを崩し、危うく転倒しそうになりました。

翔生はすかさず「お父さんいける?」と心配してくれます。
「ごめん!いけるけん。」と答えます。

それ以後は走りに集中して、他の選手と話することはありませんでした。
第4駐車場手前あたりから、たくさんの選手に対向するようになりました。
たくさんの選手の方々から応援していただきながら牟岐の折り返しへと向かいます。

折り返し地点では放送局の取材陣が待ち構えています。
Uターンするために翔生に変速を指示します。

「左黒を2回押して、、右を3回くらい白。」

他人が聞くと何かわからないでしょうが、翔生と私との間での変速指示の方法です。
最近の自転車はSTI(自転車部品メーカーシマノの変速システム)が主流で、
ブレーキレバーが変速レバーを兼用しています。
そのレバーの色と左右の位置を翔生に指示するための表現です。

しかし、親子間での指示方法もうまく伝わらない場合が多く、折り返し地点で
うまく変速できませんでした。
Uターンしてからフロントの変速がやっと出来たのですが、私は翔生に強い口調で
怒鳴りつけました。
毎度のことなので、翔生は特に気にしないと思いますが、周りでそれを聞いた方達は
びっくりしていたことでしょう。

自分たちの周囲には選手は少なく4~5人が同じようなペースで走っています。
無理せず、競うことはしないで、マイペースを心がけます。
第4駐車場の先のエードステーションでは、翔生もボランティアの高校生から
水を受け取っていました。
今日は前日までの晴天から曇り気味で暑さもさほどではなく走りやすいのです。

今回は初めて”ジェットストリーム”と呼ばれる給水用のボトルを
翔生のハンドルに装備しました。
通常はフレームに取りつけたボトルケージに指し込んだボトルを手で取り外して飲みます。
しかし、翔生にはすばやく出し入れすることが難しく、また阿波サンのコースでは
のんびりボトルを出し入れする暇はないのです。

通常”ジェットストリーム"はDHバーの間に取りつけるのですが、翔生には
DHバーを取りつけていないので、強引にインシュロックタイ
(タイラップと呼ぶこともあります)でハンドルに固定しました。

走りながらボトルから出ているチューブを口に寄せて給水します。
今回は”ジェットストリーム"のおかげで給水はうまく行きました。
ボトルの出し入れの苦手な方はお試しください。

エードステーションからは第3駐車場までの登り、そして最後の第1駐車場への
急な登りをなんとかクリアしました。
そこからは一気に下りに入ります。
ここまできたらバイクフィニッシュはもらったようなものです。
細心の注意を払いながらゴールを目指します。

コースで監視しているマーシャルの方から大きな声援をもらい翔生も頑張ります。
国道に平行に走っている道から日和佐の街中に入る橋では谷口君
(ショートの優勝、皆生大会50位以内の実績を持つ)が応援してくれていました。

日和佐駅手前では、私の会社の安部さんが親子で応援してくれました。
翔生の通学を自宅でいつも見てくれており、これまでのTV放送もすべて
見てくれている方です。

厄除橋を右折して、日和佐川に沿い、海岸からバイクラックへ走ります。
とりあえずバイクまでは終了です。

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<ラン>

ランへのトランジットを急ぎます。
翔生はランシューズを既に履いていますから、ヘルメット、グローブを脱ぎ、
サングラスを外し、帽子をかぶって先に走り出させました。
私はバイクシューズからランシューズへ履き替え、シャワー用のボトルを差す
ベルトを腰に巻き、翔生を追います。

ランスタート!気になる時間は残り約73分。予定より7分遅れ。
先に走り出した翔生を追いながら、途中のエードステーションでボトルに水をもらいます。
しかし、先行している翔生は100m以上先です。必死になって追っかけました。

翔生激走
      
スタート後の突き当りを左折、厄除橋では恵子母さんと同じ職場の郡くんが
応援してくれます。
郡くんは今回のレースに出るべく、年明けから水泳の練習をしていたのですが、
結局1500mを泳ぐことができずに出場を断念しました。
今後は来年のために翔生のコーチを受けることになるんでしょうか。

厄除橋を右折して、日和佐川沿いを走ります。
その途中で、翔生の左肘の防水シート、パッドが剥がれてきました。
残りのランは剥がして走ることにしました。

この時、翔生の顔色が思わしくなく、調子を聞いてみると右胸の脇が痛いとのこと。
ここまで来てペースを落とすことも出来ないので、頑張ろうと気合を入れなおしました。
これからは時間との戦いです。
7分/kmのペースを維持しなくては時間内完走が出来そうにありません。
叱咤激励を繰り返し走り続けます。

取材の阿部カメラマンが終始翔生を撮影しています。
非常に苦しそうな表情ですが集中しています。
翔生のペースは押している私の手に伝わってきます。
対向する選手、追い抜いて行く選手が私達親子に声を掛けてくれます。

エイドステーションのボランティア、近所に住んでいる方々も家の前で
声援を送ってくれました。
時折、雲の切れ目から太陽が顔を出します。
肌がじりじり焼けて、体力を奪っていきます。
対向する選手の中にも歩く人が目立ってきました。

しかし、私達親子は歩くわけにはいきません。
何がなんでも時間内完走をするのですから。



4km付近では私の昼休みの練習仲間の内藤君に対向します。
得意のランニングのはずですが、トライアスロン初体験、それもバイクは
マウンテンバイクを使用したので、足が残っていなかったのでしょう。

その後の折り返しまでの遠いこと。
折り返し地点が中間地点ではないので、5kmの表示から折り返しまでに
距離があるのです。
これは精神的に辛いものです。

折り返し手前ではマーシャルの坂田さん(マラソン等で知り合い)が折り返し地点まで
伴走してくれました。
さらに折り返し後は、スイムでサポートしていただいたレースプロデューサーの
山本氏が自転車で駆けつけてくれて、大声で翔生に声援をしてくれます。

レースに集中すること、最後は根性だ!と気合を入れます。
ここまでは7分/km強で頑張ってきています。
エードステーションでは女子中学生or高校生が翔生に大声援を送ってくれました。
水を頭からかぶせてもらい、元気を出させます。

8kmを過ぎ、そろそろ日和佐の町が見えてきます。
国道55号線の下をくぐる時が一番の登りです。
そこを登れば残りは後わずか。
登りきったところにエードステーションがあります。
ボランティアの中に見覚えのある方がいます。

そうです、阿波サンの入り口の食堂のお姉さん?(おばサン)です。
わざわざ掛けつけてくれました。
元気をもらい残り1.5kmに集中します。
橋を渡ったところが残り1kmです。
残り時間は8分。
ギリギリか?

翔生に気合を入れて、大浜海岸入り口を左折します。
残り直線一本。
翔生は最後の力を振り絞り、ペースを上げようとします。

残り300mくらいから私もついていけないほどペースを上げたのでペースを落させました。
ゴール手前で待ちうけていた恵子母さん、郡君、おじいちゃん、おばあちゃん、
そしてサイパンへも一緒に行った田中良冶さん、知り合いの方々と一緒に
感激のゴールを迎えることが出来ました。

タイムは制限時間ギリギリの3時間59分15秒。

ゴール

せっかくの機会なので、ウィダーのキャンペーンギャルとパチリ!
翔生ニコニコでした。
ウィダーキャンペーンギャルと

大会実行委員会には私達親子のためにいろいろと御配慮頂いてありがとうございました。
レースディレクター水畑宏之様(日本トライアスロン連合技術委員)には
大会出場について相談させて頂いた時からお世話になりました。
レースではレースプロデューサー山本浩二様(ギャラップ代表)に翔生への
アドバイス、声援を頂きました。
心よりお礼を申し上げます。

TEAM SAKANO
阪野顕正
阪野翔生

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